「時よ止まれ、お前は美しい!」
すぐにピンときた方は中々の文学通ですね。
そう、ゲーテの名作「ファウスト」の中で、悪魔に魂を売り、若返って人生をやり直した主人公が再び悪魔を呼び出す際のセリフです。
もう何年も忘れていましたが、ふと心にこの台詞が浮かぶ瞬間がありました。
受験も終わり、塾業界では今は、束の間ホッとできる時期です。
いつかやらないと、と常々思っていた事務室の掃除に取りかかりました。
出るわ出るわ、もう何年も前の不要な書類がどっさり出てきました。
取っておいてもしょうがないので処分するわけですが、そういった書類には昔のことを思い出させる要素がたくさんありました。
一つは生徒の名前です。
もう通算でおそらく200名以上の生徒を教えていますが、時が経っても忘れるということはありません。
「そういやこの子が入塾してくれたのはこういう経緯だったな」
「この子は成績伸ばして志望校に入れたけど今どうしてるかな」
大掃除しているときのあるあるですね。
抗いようのない懐かしさに襲われ、作業が一時中断しました。
生徒の名前だけでなく、数年前に自分で作った書類にも感慨深いものがありました。
今思えば出来としては拙いのですが、開校当初、経験が浅いながらも試行錯誤しながら奮闘していた時のことが思い出されました。
極めつけは写真です。
4,5年前の写真を発見し、自分の姿を見た時に思わず「若いな!!」と独りごちてしまいました。
体型も変わっていませんし、髪型も大きく変わったわけではありません。
しかしやはり一瞥して分かる「若さ」というものが感じられました。
年齢という数字だけでなく、「確かに自分は年をとったんだな」ということを実感させられる瞬間でした。
しかし、不思議なことにそのことに対して「悲しい」「寂しい」などというネガティブな感情は湧いてきませんでした。
湧いてきたのは、不器用ながらも自分はここまで生きてきたのだという、少しの誇りと、過去という「時」に対しての愛しさのようなものです。
人に誇れるような人生を送ってきたわけではありません。
人よりも失敗の数は多いかもしれません。
道の途中で傷つくことも、そして人を傷つけることもありました。
もっと器用な生き方も出来たはずです。
それでも私は私なりに、その場でのベストを尽くそうと真剣に生きてきた、という自負があります。
それが他から見れば間違っていたとしても。かっこ悪く映ったとしても。
年を重ねたからと言って、人は急に大人になるわけではありませんが、以前よりも自分を客観的に見られるようになってきた気がします。
そして欠点ばかりの自分も、認めてあげたいと、少し思い始めました。
いつになるかは分かりませんが、過去も、現在も、未来もみな等しく肯定出来たとき、
心からこの台詞を言いたいものです。
「時よ止まれ、お前は美しい!」と。
ステップ個別指導学院 総社・吉岡校 小西