美しくあれ

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大人になって初めて分かる。

 

今まで気付けなかったことに気づく。

 

塾講師として生徒に様々なことを教えている身ですが、

 

実は私にもそんなことが日々あります。

 

 

たとえば中2の教科書に載っている、太宰治 『走れメロス』

 

中学生当時、初めて読んだときは

 

「メロスが頑張る話」

 

「なんか良い話」

 

「セリヌンティウスっていう名前が印象的」

 

その程度の感想しか抱きませんでした。

 

 

しかし大人になってから改めて読んでみると、

 

思わず泣きそうになるくらいの感動をおぼえました。

 

大人になって言葉の意味や文章の美しさが分かるようになった、

 

というよりも

 

読むときの視点が変わっていたのです。

 

つまり、「純粋なメロス」

 

ではなく、

 

「人を信じられない暴君ディオニス」

 

に感情移入してしまっていたのです。

 

 

 

ディオニスは言います。

 

 

 

「疑うのが正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。

 

人の心は、あてにならない。人間は、もともと私欲の塊さ。

 

信じては、ならぬ。」

 

 

 

人は誰でも、嫌でも、大人になります。

 

それは必ずしも良い面ばかりではなく、もともと持っていた素直さを失ってしまったり、

 

見えていたものが見えなくなってしまったり、逆にずるさを身につけてしまったり、

 

悪い面もあるように私は思います。

 

 

そんな大人である私ですが、

 

満身創痍になりながらも、諦めそうになりながらも、

 

 

親友セリヌンティウスの元にたどりつくメロスに、

 

 

失くしてしまったものを思い起こされるようで、思わず胸が熱くなってしまったのです。

 

 

ディオニスは最後にこう言います。

 

 

 

 

「お前らの望みはかなったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。

 

信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしも仲間に入れてくれまいか。

 

どうか、わしの願いを聞き入れて、お前らの仲間の一人にしてほしい。」

 

 

 

 

これは私の勝手な解釈ですが、おそらくこれは太宰自身の投影なのだと思います。

 

『人間失格』にも代表されるように、太宰治は他人、そして自分の醜さにとても敏感な人でした。

 

だからこそ、美しいものにも敏感であり、この『走れメロス』のような、暗さを感じさせない、

 

まっすぐで美しい話も書けたのではないかと思います。

 

 

 

太宰治だけでなく文学、芸術というものは

 

 

 

「それでも、世界は、人間は、もっと美しいはずだ!!」

 

 

 

という作者の思いが根底にあるように思います。

 

 

 

私も時に裏切られることもありますが、信じていたいのです。

 

 

「それでも、世界は、人間は、もっと美しいはずだ!!」と。

 

 

 

 

そして事実、生きていると、時折、美しいものに出会えることがあるのです。

 

 

 

 

 

 

日に日に寒くなり、気持ちも暗くなることもあるかもしれませんが、

 

年末にはクリスマス、お正月と、楽しいイベントも控えています。

 

 

そして、塾としても一年で有数のイベント、冬期講習があります。

 

 

日程的にはかなりハードなのですが、

 

 

 

「何かが出来るようになったときの笑顔」

 

 

 

「目標に向かってまっすぐに進む姿」

 

 

 

きっと今年もそんな美しさに出会えることを信じてがんばっていきます。

 

 

 

 

ステップ個別指導学院  総社・吉岡校     小西